今の暦で四月の下旬初めにやって来るのが、
二十四節気の“穀雨”という日。
穀物の苗への程よい雨が降るという意味で、
昔の暦だと三月は弥生半ばか。
「雨ですねぇ。」
「でちゅねぇ。」
広間の濡れ縁前に並んで腰を下ろしてのお膝を抱え、
微妙にあちこちへと雑草の芽が吹き出して来だした庭の、
新芽の緑をしとどに濡らす こぬか雨。
これではお出掛けもならずでの しょうことなしに。
小さな肩を並べてお外を眺めていやるは、
こちらのお屋敷でお勉強中の、人の和子と仔ギツネさんと。
「えっとぉ、この時期の雨は作物には縁起がいいとされています、って。」
「ぃえんぎ?」
おおう、ややこしい発音だったので表記に一瞬迷ったぞ。
舌足らずな天狐の坊やが、真ん丸な頭をひょこりと傾げたのへ、
和綴じの歳時記教本を開いていたセナが、
“そうなんだって”と念を押すよに頷いてやれば、
そこへと重なるように、
「田植えや何やで田や畑へ植え付けるための苗の、
生育の仕上げの時期だからだろうよの。」
今日はちと冷えるからと火を煥こした炭櫃(すびつ)の傍らから、
お声を掛けて来られたのが、
当家の主人にして彼らの師匠でもある陰陽師殿。
春の色襲(かさね)にあたろう紅やら緋色やらを組み合わせた衣紋を、
一応は まとっておいでだが。
自宅でかしこまる必要もなかろとの常の方針にのっとって、
染める前の布だろか、褪めた白地の筒裾の狩袴に、
上へと羽織る小袖と単(ひとえ)の緋色が重なり、
それが何とも甘い印象となっておいで…なのだが。
その上へ、誰かさんの忘れ物かそれとも剥ぎ取った戦利品か、
大きめの漆黒の狩衣を、袖を通さずの無造作に羽織っているものだから。
薄暗がりの中にあってもその煌きを失わぬ金の髪やら、
透けるような色白な肌とが相俟って。
結果として、とんだ判じものみたいな恰好になっている。
ご当人はあんまりそういったことへはこだわらぬお人な上に、
見ようによっちゃあ、
黒のあちこちからちらちらと覗く紅や、
大きく襟足を抜いていることであらわになってる、
細っこいうなじの白なぞは、
婀娜っぽい印象を滲ませ、十分に色っぽくもあったから。
これはこれで、味のある大人のお洒落ではあるのかも?
“さて、ボクにはさっぱり判りませぬが。”
よく見ると蝶々の図柄が織り出された、
赤みの強い うす紫の袷を白地の小袖へ合わせ、
下は深緑の袴という、こちらも春の襲を装うセナくんの傍ら。
甘い栗色の髪が映える、
蘇芳と藍を合わせた上下を愛らしく着込んだ仔ギツネの坊やが、
うあいと立って、お寝坊さんだった おやかま様へと寄ってゆく。
「おやかま様、おっ起(おっき)?」
「ああ、さすがに寝飽きた。」
それも春の訪のいの証しか、
寝間に横になっていても何だかそわそわと落ち着かないそうで。
冬場だったら下手をすりゃ、昼餉近くまで出て来られぬ日もあったのに、
これもまた暖かくなったからなのでしょかね?
洗顔のお支度と朝餉を持って来ましょうねと、
板の間へ膝を立てての立ち上がったセナを見送り、
「おやかま様、雨こんこ。」
今日は朝からなのと、
実はそれへ関わってる側じゃなかろかという眷属様が、
不思議なことのように言ってくるのへ。
ああそうさのと小さく微笑ってやり、
「少し寒いから、これも“菜種梅雨”なんだろな。」
「なちゃね?」
ああ。菜の花って知ってっか?
うっ、きーろで きれーなのvv
「その花の時期に降るんで、そんな名前になっとるのだがな。」
庫裏の方からも
賄いのおばさまが頃合いかしらとみていたのだろ。
用意したもの、ちょうど持って来ていたのを受け取ったのか、
お早いお返りだったセナがお顔を見せたので。
湯の入った手桶を運び込んだのをもっと近こうと手招きし、
「皐月の梅雨の雨はどうして降るのか、は、覚えておるか?」
「あ、えと…日之本の上で、春の気と夏の気が揉み合ってのこと、と。」
早よう去れと南から上がってくる夏の気に、
いいやまだまだ居座るぞよと、春の気が強情張って、
それでその擦り合うところで雨が降るのだと教わりましたが。
恐らくは判りやすいようにということだろう、
微妙に擬人化された説明だったのを、ちゃんと覚えていたセナくんへ、
うんうんと満足気に頷いたお師匠様。
「今時分の“菜種梅雨”も仕組みは似たようなものでの。」
こっちはの、冬の気団と春の気団の押しくらまんじゅう、
しかも冬の気は相当に手ごわいので、
擦り合うところには雪混じりのみぞれが降り落ちたり、
秋の野分に相当しよう大風をもたらしたりもするのだと。
人差し指をピンと立てての鹿爪らしく、
それこそが得意分野の見識を蛭魔が披露すれば、
「うあ、それじゃあ先だってからの寒の戻りは、
そんなことが原因なのですね。」
「はややぁ〜〜〜。」
そんなことって…いやあの、理屈に間違いはないのですが。
それにしたって、何だか妙に興奮していませんか、おチビさん二人。
あの、もしもし? どういう理屈だと把握されましたか? 今。
“もしかして、
冬の神と春の女神が 大軍勢を率いて向かい合い、
天上世界で陣取り合戦している図を、
まんま想像したんじゃあるまいか。”
しかも、その天世界を先々で背負って立つのだろ、
天狐の坊ちゃんもご一緒に、ですよ、今頃お越しの葉柱さん。
“あのな…。”
別段、嘘を吹き込んだ訳ではないのだと、
得意げなんだか、それとも愉快そうにか、
笑って言い返す蛭魔なんだろなというところまで、
先が読めてる総帥殿と致しましては。
“……う〜ん。”
人の和子であるセナにはその方が把握しやすいのだろと、
委細構わぬ 某武神様はともかく、
ややこしい理屈で一番最初の基本知識を刷り込んでくれるなと、
天世界からのお迎えの青年から苦情を言われんじゃなかろかと、
今から渋いお顔になっていた総帥様だったりするそうな。
〜Fine〜 10.04.20.
*ややこしいにもほどがあった天候も、
何とか二十四節気に合うような
趣きへ落ち着いてくれたようですが。
実はGWにもう一回 寒の戻りがあるかもだそうで。
もう寒いのは勘弁してくだしゃいです。
本気で止めたきゃ……
怒涛の更新を辞めてみるとか?(おいおい)
めーるふぉーむvv

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